母畑温泉の由来イメージ

武士に勇を鼓し、愛馬を癒す、母衣旗の湯。

八幡太郎義家

八幡太郎義家(幼名:源太)の名は八幡神より剣を賜う夢を父頼義が見た事によって母が懐妊したことと、七歳の時石清水八幡宮で元服したとの伝えにより呼ばれるようになった。

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母畑温泉の由来

 今からおよそ、900年程前、阿武隈山渓を埋め尽くす大雪のなかを八幡太郎義家こと源義家は、父頼義他多くの軍勢とともに、当時陸奥の国を征する安倍貞任を成敗し、東国進行を果たすべく過酷な山のなかを進軍しておりました。 途中幾多の襲撃に見舞われ、傷だらけになりながらも敵の目を避け寒さと飢えに苦しみながら御斎所峠を越え、雪の谷間をおりて行きました。
 降る雪は一向に止みそうもなく、足にけがをした義家の愛馬は、山小屋にたどり着いたまま動こうともしません。 しかし、薬とて無いこの山中で、愛馬にしてやれる手当は、谷間の水に浸した布で傷口を包んでやることぐらいでした。 ところが、不思議なことに、馬の傷はまたたく間に良くなり、元気を取り戻したのです。 谷の水には、岩間から湧き出る温泉が混じっていることを知った義家は、「これこそは、わが源氏軍への山神のお助けに違いない。」とばかりに、湯の湧き出る岩の上に母衣(ほろ)を捧げ、旗を立てて祀り、この地を後にしたと云います。

 湧き湯で傷を治した兵士たちも、勇気百倍して戦場に向かい、義家率いる討伐軍は、みごと安倍貞任軍を討ち滅ぼし八幡太郎義家は、陸奥兼鎮守府将軍となり東国に源氏勢力の根拠を固めたといわれております。
 このとき義家が母衣(ほろ)と旗を祀った土地は、「母衣旗(ほろはた)」と呼ばれ、いつしか訛って「母畑(ぼばた)」と呼ばれるようになりました。 又、八幡屋は八幡太郎義家の愛馬の傷が治った霊泉の上に建てられた宿というところから、「八幡屋(やはたや)」と名付けられました。

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